2005年01月19日

ユメ。

夢を見る。

ユメに魅入る。

私はよく夢を見る。
荒唐無稽な夢。
筋道が通った夢。
覚えている夢。
忘れている夢。
カラーな夢。
モノクロな夢。

そしてたまに予知夢。
そしてもっとたまに夢と自覚する夢。

予知夢とはいえ、みたときにわかるわけではない。
そのことが起こったときに、既視感を感じるだけだ。
まぁ気のせいといわれれば気のせいだろう。

夢と自覚できる夢はいまだ数回しか訪れてはいない。
そのうち一度は自覚しながらも状況に流された。
そのうち一度は自覚しただけで行動は起こせなかった。
そして残りは少しだけ変化を起こせた。
いや、実際は変化ではないのかもしれない。
だが私の思い通りに動かした気になれた。
ただし、私の常識にとらわれた変化でしかない。

私の常識の範囲内の行動としてしか夢の改変を行えなかった。
私が行動しうる範囲内の行動しか起こせなかった。
これは流されていないといえるのだろうか。
確かに夢では過去を気にしない。
確かに夢では自分に疑問をもてない。
確かに夢では状況に反論できない。

過去を気にし、疑問を持ち、状況に反した行動ではあった。
だが現実の私がとりうる行動のひとつでしかなかったのだ。
やはり夢の中では流されているようだ。

そして私は夢を見る。
流され続けて夢を見る。
夢の中で流され続ける。

疑問も持たずロールを全うする。
さて、現実と何が違う。
さて、現実では流されていないのか。
さて、現実が役割を演じているのではないとなぜ言える。

それは胡蝶の夢。
伽藍の堂に浮かぶ疑問の花。
それこそが現実という名の誰かの夢。

Posted by fallener at 2005年01月19日 17:54
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